つれづれなるままに...

これはここでおきた出来事を気が向いたときにつづったものです。


2006年7〜9月の巻...
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最新の「つれづれなるままに」

9月29日

 いよいよ朝晩の気温が5度以下になるのがあたりまえになってきて、とうとう今晩コタツを初点灯させてしまった。ただでさえ、仕事を中途半端にしたままうたた寝することが多い今日この頃、これでますます仕事をせずにうたた寝してしまいそうだ。

 そして、寒さとともに枯れてきた畑の草や野菜を連日鶏小屋に放りこんでいるが、鶏たちはうれしそうについばんでいる。うちの場合、こうした畑の片付けは単なる片づけではなく、鶏の滋養強壮をも兼ねているので実にありがたいことなのだ。


9月20日

 台風13号が接近してきていて、しかも2年前に大きな被害をもたらした台風18号と似たようなところを通っていたので、どうなることかと戦々恐々としていたが、結果としてアブラナ科の野菜にかけていたトンネルが何枚かめくれた程度ですんだ。ただ、ほうれん草の若葉が多少折れてしまっていたのは気になるが...。

 さて、今日は懸案だった車の修理をしてもらい、その足で深川まで行って、閉店ギリギリで前から予約していた中古の農具を受け取り帰ってきた(時間があれば近隣の知り合いをたずねるなどしたかったのだが)。国道12号線を運転するのは久しぶりだったが、どういうわけか、これまで上り(札幌)方面に向かっては何度も運転したことがあるのに、なぜか岩見沢以北の下り線(旭川方面)を走るのは初めてで新鮮だった。そして帰りは、深川から旧産炭地の芦別〜三笠〜夕張を経由して帰宅した。今日一日車を走らせていて、なんとなく、旧産炭地の町並みは歴史を感じた。普段は札幌や苫小牧の住宅地を配達してまわっていることもあって、普段見る風景はわりと新興住宅地の感じがするのだが、美唄、砂川、芦別、夕張といったまちにはいかにも古めかしい重厚な雰囲気の建物が目立つ。ただ、シャッターが閉まっているところが多く、特に夕張の国道452号線沿い(大夕張炭鉱があった付近?)は建物ばかりがそこにある感じ。暗がりの中で、たまに明かりのついている建物があるかとおもえば、工事現場の仮設プレハブの明かりだった。こうした町の多くは人口流出が進んでしまっているらしいが、これらの建物は建て替えたくても建て替えられないのか、単に人が出っ放しで放置されてしまっているのか、というところだろうが、これで日本は「好景気」だなんて、誰が言ったんだと思う。


9月13日

 ついに今日、朝の最低気温がひとけたになっていた。5時半ごろに温度計を見たら8度...。

 話は変わるが、このところこまごまとした故障が多い。携帯電話は電源が入っているのに画面がいきなり消えてしまったり、携帯ラジオは音量調節が壊れて最大音量のままになってしまったり、さらに今日は車のマフラーが突然まっぷたつになって、こちらも走行音が大音量になったり。よく「故障は続く」というけれど、まったく否定できない状況である。携帯ラジオはその辺で安くで買えるのでさほど問題はないが、携帯は機種変更となると、よっぽど古い機種でなければ万単位の出費だし、車はへたすりゃ数万どころの騒ぎではない。どれも仕事に絡むので、出費を惜しむわけにいかないのがつらいところ。ただ、どれも仕事の致命傷になるほどではないのはせめてもの救いである。

9月11日

 時間を見つけて少しずつかぼちゃを収穫しているが、今のところネズミの爪あとはあっても、食い荒らされることなく経過していて、なんとなくほっとしている。でも、晩生の白いかぼちゃ「雪化粧」にまでネズミの爪が入り始めたので、あんまりのんびりしてはいられなさそうだ。

 さて、最近きちんと爪切りをしたことがない。サラリーマン時代は、10日か2週間に1度ぐらいは切っていたような気がするが...。爪がのびてくると、なんとなくそろそろ切らなきゃ、と思ってはいるのだが、いつのまにか爪先が折れてしまったり、削れてしまったりして、切る必要がないのだ。それだけ手先を使う仕事が日常になっているということなのだろう。しかし、これだけ爪先が傷ついても、不思議と爪の内部までは傷ついたりしないから不思議なものだ。たまにささくれを処理すればなんのことはない。
 そういえば、以前某所で、ゲージで飼われていたことのある鶏が地べたを歩いているのを見たことがあるが、相当爪が長く伸びていて、歩く様子を見ているとかなりよたよた歩きだった。おそらく全然歩かないから爪がすり減らないのだろう。一方、我が家の鶏はそんなに爪が伸びていない。こうしてみると、いかにわれわれも手足を使うのが大事なのか、と考えさせられてしまう。爪が伸びるということは、手足を使っていない証拠なのだと。


9月10日

 配達からの帰り道、突然、真っ暗な農道のど真ん中でメス牛が徘徊しているのに遭遇した。どこぞの牛舎から脱走したんだとは思うが、どっちに動こうか右往左往している様子。巨大な物体が目前にあり、しかも道のど真ん中にいるものだから、牛をかわしてすれ違おうにも動きが取れない。しかし尾根道でUターンするほどの道幅はなく、かといって真っ暗ではバックも勇気がいる。どうしようか思案していると、突如その牛が猛然と車に向かってきた。もし頭突きでもされたら...と、一瞬命の終わりを覚悟した。が、車のすぐ前で避けてくれたので助かった。そして牛が真ん中から外れた瞬間、牛をよけてなんとかその場を通り抜けたが、本当にヒヤッとした。もしこれが熊だったらどうなっていただろうか。


9月2日

 30度を超えるような暑さはさすがに来なくなったとはいえ、まだまだ昼間は夏日が続く。しかし、朝晩の気温の下がりがはげしくなり、今朝温度計を見たら12度になっていた。確かに、今月の下旬になればいつ霜が降りてもおかしくないわけで、それを考えたらそろそろ寒さ対策のことも頭に置いておかねば、と思う。

 さて、昨年はネズミの害に遭って壊滅状態になったかぼちゃであるが、いくらかぼちゃ畑のすぐそばに猫がいるとはいえ、少なくとも数百個にはなるであろうかぼちゃの実と繁茂している葉の間にまでは猫も見回れないだろうし、現実に栗かぼちゃにはネズミの爪あとが入り始めていた。本当はもう少し熟するまで畑に置いておきたいのだが、ネズミが手をつけたということは、試食ぐらいは出来る段階になってきたということだろうし、ここまでくれば畑から収穫して囲っておいてもそのうち熟するはずなので、思い切ってとれるだけとっておいた。といっても、ネズミに狙われやすい栗かぼちゃの作付けを今年はほとんどしなかったから、せいぜい20個か30個ぐらいなのだけれど、ほとんど食べられなかった去年よりははるかにましな状態である。そして、ネズミの引っかいたかぼちゃを塩ゆでしてみたのだが、もう食べても大丈夫なくらいだ。さすがネズミ。おそるべし。


8月19日

 気が付いたら夏の甲子園が始まり、でも始まったかと思ったらもう残り2日...といった状況の中、今年も北海道の駒大苫小牧高校が勝ち残り、あと2勝で三連覇するかしないかというところまできた。今日ももちろん、いつものようにラジオをつけて仕事をしつつ、野球中継を聴けるぞ、とおもっていたのだが、なんと今日は午後から有機認証の現地調査で調査員が来る日になっていた。書類を見ると約束の時間は13時30分。試合は11時からだから、延長にならなければ最後まで聞けるかどうか、というところだったのだが、7回に入って7対4で駒大苫小牧がリードというところで、なんと予定よりも15分以上早く調査員が来てしまったのである。書類の検査などもあるのでラジオをつけているわけにもいかず、こういうときは、試合が終わるまでどこかで時間調整しろよ〜空気よめ〜、おれが配達するとき、大相撲の期間中には取組が終わってから玄関に行くぞ〜、と心のどこかで思いつつ、スイッチを落として仕事の話になるのだが、そんな話はうわのそら。調査が終わるころにはもう16時半。調査員が出て行ってからラジオのスイッチをつけると、当然野球中継はナシ。第2試合も終わっていたらしい。パソコンを立ち上げ、調べてみるとどうやらスコアは動かずそのまま終わっていたようだ。

 しかし、こうなると明日の配達が問題だ。いつもどおりに行けば、試合が終わったころの時間帯に、通り道になっているその高校の前を通るからである。もちろん、高校の敷地内に入る予定はまったくないが、こういうときはきまってパトカーが周囲を徘徊している。確か、昨年も帰還と配達の日とが重なって、何台のパトカーとすれ違ったことか。これでうっかりシートベルトを忘れたり、一時停止を怠ったり、アクセルをふかしすぎたりすると、お縄にかかって青切符をきられていしまいかねない。野球の結果云々よりも、私としてはこっちのほうに神経を使わなければならない。もちろん、野球は気になりますが。


8月14日

 昨日、苫小牧からの帰り道でカーラジオを聴いていると、気が付いたら中国の一人っ子政策の話になっていて、最近は新生児の男と女の比率が120対100ぐらいになっているようなことを言っていた。断片的に聴いていたので、どういう話の流れでそうなったのかはわからないが、はっきりしているのは、あれだけ人口の多い中国で、男の子が2割多いということは、それだけ結ばれるのが大変な男が多くなるということ。ラジオでは「いす取りゲーム」なんて表現が使われていた。
 かく言う私も、「いす取りゲーム」の敗者(?)となりつつあるが(だからといって望みを捨てているわけではないが)、実は、100対100でも、人間の男にとっては「いす取りゲーム」なのが本質ではないかと思っている。というのも、いまの日本では重婚が禁止されているが(昔は正室、側室...などという存在があったが)、外国に目を向けると、宗教によっては男が複数の妻を持っていいことになっているものも存在しているので、そういう状況の下では、このような人が多ければ多いほど、当然あぶれる男は増えてくる。昨今耳にする監禁事件にしても、ひとりの男性が複数の女性を監禁する話はあっても、複数の男性がひとりの女性を監禁するという話はまず聞かない。

 でも、これは人間に限った話ではなく、鶏を見ていても納得する。うちでは、メスとオスをだいたい10〜15対1ぐらいの割合で入れているが、実はこれでもオスは多いと思う。というのも、オスは毎日メスに種をつけて回っているが、オスの中でも強弱があって、弱いオスが種付けしようとすると、遠くから強いオスが飛んできて、「おれの女に手を出すな」といわんばかりに弱いオスを押しのけ、こんどは自分が種をつけるのである。もちろん、強いオスが絶倫だったとしても限界はあるだろうから、もしかしたら弱いオスも多少は種付けできているのかもしれないが、でも、弱いオスはつつかれたり毛をむしられたりして、見るも無残な姿になっていることが多々ある。弱いオスがたまに種付けのしぐさをしているかと思ったら、尻をつつかれて死にそうになっているめんどりが相手だったりするものだ。ヒナがかえる段階ではメスもオスもそんなに数が変わらないはずで、ヒナを入れる時はオスをどのくらいの割合で入れるか、われわれ養鶏家に選択権はあるのだけれど、こういう割合にしているのはこのあたりの事情もある。同じ数入れても、どのみちオス同士では潰し合いになって、最終的に生き残るオスの数はこうなってしまうのだから。
 そういえば、かつて研修していた栃木の農家で飼育していた豚にしても、たまつきのオスが2頭いたけれど、オス同士を絶対近づけるなと口すっぱくいわれていた。豚はオス同士がいったん向かい合うと、どっちかが倒れ果てるまで喧嘩してしまうからである。実際、私は種付け作業中にうっかり放牧場の柵越しに2頭を近づけてしまったことがあり、それはもうパニックだった。ひとつ屋根の下では、どれほどたくさんメスがいてもオスは1頭、というのが豚社会のしきたりなのだ。オスが複数いるのは、かりに絶倫だったにせよ限界があるので、母豚の数に対して確実な種付けができるよう、逆算して飼っているというところだろう。ただし、直接顔を向き合わせずに済むよう、各々のオスを柵で囲っておく必要はあるが。

 こうしてみると、オスとして生を授かったのが、たまたま重婚が禁止されている日本の人間だった、というのに心から感謝しなくてはならないのかもしれない。法律のしばりがなかったり、人間以外の生き物だっりしたら、とっくに望みを捨てねばならなかったのだから...。


8月12日

 今月に入って突然暑い日が続くようになり、定植したキャベツの苗は暑さでかなり傷んでしまった様子。週明けにでも補植しようとは思うけれど、余った苗を投げずに残しておいて正解ではあった。しかし一度かけた虫除けの布は飛ばされないよう、布の端に土をかけて埋めてしまったため、はがすのが面倒。しかし、あおむしが増殖するよりははるかにましなので、そこは妥協するしかない。
 また、鶏も暑がるようになって、今月に入ってたまごの殻は弱くなり、中身も多少水っぽくなっている。鶏小屋の屋根に寒冷紗やブルーシートをかぶせていることもあり、鶏が熱中症でやられることはないけれど、トマトなど、畑の作物がおがってきたなと思ったら、一方でこのありさま。すべての生き物に都合いいようにはできていないものである。
 暑いといえば、今月に入ってほとんど雨が降っていないが、どういうわけか、大根の種をまくとにわか雨が降る。先週も金曜日(4日)に種をまいた直後ににわか雨が降ったが、今日も「午後から雨が降る」という天気予報に、半分期待して種をまいたものの、午後から晴れてきて「なんじゃこりゃ」と思った矢先、夜になって小雨が降っている。ただ、降った雨がそのにわか雨だけなので、最初にまいた大根の発芽があまりよくないし、今日まいた2回目の種の発芽、そして定植したブロッコリーの苗の根つきがどうなるかが心配である。


8月6日

 夕方、苫小牧に行くと、市内中心部で浴衣や甚平の子たち(おおよそ高校生か中学生ぐらい)、特に男女の2人組を多く見かけた。それもそのはず、「とまこまい港まつり」があって、ここぞとばかりに女の子は浴衣を、そして男の子は彼女に合わせて浴衣や甚平を...といった感じだった。でも、見た感じ、多くの女の子はわりと着なれた様子だったが、男の子のほうはなんか不慣れな感じで、でも、浴衣の彼女に一生懸命合わせようとしているその様子は、どことなくほほえましかった。
 そんな中でのとある人との会話。
 「今日は浴衣姿の子たちが多いですねぇ」
 「港まつりですから」
 「いい雰囲気ですよね、でも、ぼくにはあんな過去なかったよなぁ」
 「あのころ(私が中高生のころ)は浴衣は流行っていなかったでしょう」
 「いや、浴衣以前の問題で...」
 浴衣だろうがなんだろうが、一緒に歩く相手がいなかっただけのことである。
 そして、そのまま20年が流れて現在に至っている。
 やはり、モテない男は何年経ってもモテないのである。


8月3日

 最近、とあるラジオ番組で、あまりかたいものを食べないこどもが多くなってきている、というような趣旨の話を耳にした。たとえば、豆ご飯があったら、豆だけよけて食べるといった具合で、その、豆をよける理由が「豆が嫌いだから」というのではなく、「かむのが面倒くさいから」ということらしい(面倒くささだけ考えれば、豆をよける行為のほうがよっぽど面倒だとは思うが)。料理を知らない両親が、子どものために初めて炊いた豆ご飯だったら話は別だろうが、普通に炊けばかめないほどのものではないはずなのだが...。
 とおもっていたところで、今日、配達しながら回っているうち、とある訪問先でたまたま「最近は(かむのが面倒という理由で)肉が嫌いな子が増えているらしいですよ」という話を聞いてさらにびっくり。それも、うちでつぶした鶏の肉のように歯ごたえがあるものではなく、スーパーなどで普通にスライスされて売られている肉が嫌いなのだという。私ぐらいの世代なら、偏食の是非はおいておくとしても、肉はいいけど魚は嫌い、果物は好きだけど野菜は嫌い...といった、食べ物そのものの性質が好き嫌いに反映されていたような気がする。そういえば、給食で肉が出ようものなら争奪戦なのに、わかさぎフライの日には私の皿に7人分のわかさぎが集結していたことがあったほどだが。
 ということからすると、最近はよっぽど「かむ力」の弱い子が多くなっているということなのだろう。実際、町中で見かける子どもたちにあごの細い子が多いなぁとは思っていたのだが、あごが細いということは、それだけあごの骨が発達していないということであり、またそれだけ歯がきれいに生えてこないということも言えるだろう。最近は「小顔」がもてはやされているらしいが、もてはやされればもてはやされるほど、健康面ではかなり損しているのかもしれない。かく言う私も、実は親知らずを3本抜いてしまっているので、「小顔」の部類に入るのだろうが、この年齢とはいえ、少しでもあごが発達するよう、これからでもできる範囲でしっかりかむ習慣をつけていきたい。


7月26日

 いつのころからか、連日迷惑メールが届くようになってきた。インターネットに接続できる環境をお持ちの方ならご存知と思うが、最初は受信拒否をしていれば済んだ話だったが、最近は拒否設定をしても、その設定をかいくぐって送信してこられるものだから、都度削除すればいいやと、設定するのは面倒になってやめてしまった。迷惑メールは1日平均するとだいたい15通ぐらいにはなるだろうか。でも、開封するのも馬鹿らしいので、そのまま読まずに削除してしまうのだが、タイトルから推測すると、その6〜7割は女性が男性を誘ってくるようなもの(たとえば差出人が女性の名前で、「○○(女性の名前)です。話を聞かせてください」といったようなタイトルのもの)で、残りはセールスといった感じである。しかし、セールスのメールはともかくとして、女性が男性を誘うようなタイトルのメールで引っ掛かる人間がいるのだろうか。というか、1万人に1人でも引っかかるのがいるから送られてくるのだろうが。
 基本的に男という生き物は馬鹿なものだ(と思う)から、ああいうタイトルのメールがきたら「ひょっとしておれに気があるのかなぁ」と、ついついおだってしまう気持ちも、同じ男としてはわからなくはない。でも、まったく女性に縁がなく、さらに全然女性にモテないままに三十路を大きく越えた私の場合(現在も彼女募集中ですから...)、あんなタイトルのメールがきたらまず疑ってかかる。だいたい、モテない人間はモテないのだから、そういう人間に対してこの手の誘いが来ると考えるほうが愚かというものだ。来たとしても裏があるに決まっている。たまにはタイトル工夫しろ、と言ってやりたくもなる(こういう免疫ができてしまっていることもそれはそれで問題なのだが...)。しかし、「またかよ」と思って無意識のうちに削除したりするので、必要なメールを削除してしまっている可能性もあるわけで、メールそのものよりも、私にそういう無用な習慣を植えつけた、という意味で、これらはまさに「迷惑メール」である。
 というわけで、もし私に(迷惑メールでない)メールを送ったのに無視されているという方いらっしゃいましたら、もう一度送ってください。よろしくお願いします。


7月19日

 この数日、またどんよりした天気が続いている。「北海道に梅雨はない」と誰が言ったのか、という感じではあるが、昨日、札幌の配達に行ったときに会った人に聞いてみると、生活の拠点が道内から出たことがない人は「気候が内地化しているんじゃないの」「前はこんな(どんよりした天気がが続く)感じじゃあなかった」などといった感想ばかり。でも内地出身の人の印象も、梅雨と変わらんといった感じが大勢(たいせい)である。それでも、私が長く住んできた関東に比べればまだ過ごしやすい部分はあるけれど、低温状態が続くと、畑の野菜はそれなりに悪影響を受けてしまいそうである。ただ、鶏のほうはというと、例年より涼しい分だけ暑がってはいない様子で、こちらはややいいほうの影響を受けている感じである。
 こうしてみると、農業を営む上で金銭面のことだけ考えたら、家畜を飼ってみたり、また栽培する作物の種類を手広くやってみたりすると、それなりにリスクが分散されているということはいえるのかもしれない。そのかわり、効率が悪くなるので一発大当たり、というにもならず、まあほどほどの生活をしろ、ということになってしまうのだが。


7月12日

 今月に入って晴れの日が続いた...と思ったところが、先週末からまた曇りの日が続き、今日も午前中まで雨が降ったりやんだりだった。いったん乾きかけていた畑も、また場所によってはずぶずぶ足が沈んでしまうようになった。実際、今日の午後はかろうじて薄日もさしたので、まだ終えていなかったなんばんとピーマンの定植をしたけれど、畑の通路で足が沈みそうになるところがあったほど。昨日の北海道新聞の一面に「冷夏予想はずれた? 7月の道内 太陽がいっぱい」なんて出ていたけど、このあたりに限って言えば大嘘である。というか、「道内」では大嘘だと思っている人が意外と多いのではないかと思う。特に、私が毎週出かけている苫小牧ではほとんど晴れの日がないという。
 そのせいか、今のところ例年より虫の害が少ないような気がするが、そのかわり、野菜の味が少々淡白な気もする。虫の味覚は人間より敏感なんだろうか。私の舌がおかしくなっているだけならよいのだが。


7月4日

 今月に入ってから、何かが変わったように晴れの日が続いている。畑も少しずつ乾いてきたので、そろそろ沈んだトラクターを引っ張り出そうかと、今日の夕方、配達から帰ってからスコップを片手に現場へ行くと...なんと、トラクターが5メートルほど後ろに移動されていて、ぬかるみの底から脱出していたのである。先に書いたとおり、バックのギアは故障しているから自力で出たはずもなく、トラクターを見回すとピンクの太いロープの切れ端が残されていたので、親切にも誰かが引き上げてくれたのだろう。
 実はこの10日ほど、沈んだトラクターを見ては私に声をかけてくださった方が多々いらっしゃった。それほどまで、近所で酒の肴にされていてもおかしくない状況だった。でも、ギアが壊れている上に畑がぬかるんでいるので、下手に脱出を頼んで迷惑をかけても申し訳ないので、乾くまで待っていますと言っていたのだが、まさかこういうことになっているとは...。誰が引き上げてくれたかは後日確認するとして、問題はどこに移動するか。バックに動かせない上、低いギアも入らないから、いきなりサードで発進しなくてはならないので、よっぽどうまくやらないとエンストする可能性が高いし、いくら乾いてきたといっても深く耕されている畑だし、トラクターは二駆だから、タイヤが沈んだらかえって厄介である。仮に畑から引っ張り出せたとしても、作業の邪魔にならず、雨が降ったときに水がたまらず、なおかつ次に前進できる場所となると、かなり制約がある。沈んだ畑の作道は一方通行なので、いったん逆方向にハンドルを切ったら最後である。でも、なんとか自力で脱出し、隅っこのほうにおいておくことができた。やれやれ。
 それにしても、どなたか知りませんが引き上げてくださった方、どうもありがとうございました。


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